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なめらか工場

なめらかを生産するぞ

バブルに思いを馳せる

当記事はJSYS16 Advent Calendar 2016の22日目の記事である。

バブルという時代

御存知の通り、日本にはかつて、今から見れば後にも先にもなく"金が余っていた"時代があった。「バブル」である。当時は東京23区の地価がアメリカ全土のそれを上回っただとか、日本の一企業がゴッホのひまわりを海外から買い取ってしまっただとかという話は聞いたことがあるかもしれない。金が余っていた時代なだけにこの手の話はいくらでも出てくる。バブルとはそんな時代だった。

バブルの文脈

まずはそもそもなぜバブルなどという時代が生まれたのかということから考えることにしたい。
戦後の日本の経済成長は戦後復興を経て1950年代初頭の朝鮮戦争での物資の供給需要に起因する戦争特需から始まった。これで経済成長が軌道に乗ると池田内閣の時には所得倍増計画を打ち出し高度経済成長を見事に加速させ、1964年のオリンピックも無事成功へと導いた。これが1960年代までの話である。
ところが1970年代に入ると右肩上がりで成長を続けてきた日本経済の成長は減速していく。1972年頃に内閣を率いていた田中角栄によって打ち出された日本中をコンクリートによってつなぐという列島改造論構想の頃には日本の成長の勢いは衰える。オイルショックであった。中東において戦争が勃発すると産油諸国が原油価格を引き上げることを決定し、これまで続いてきた高度経済成長がここに終演を迎える。
これ以降の日本は高度経済成長ほどではないものの、安定した成長を続ける。1980年代には円安を理由にハイテク産業が輸出により好調を見せるが、同時にアメリカとの貿易摩擦が顕著にあらわれるようになっていく。
中曽根内閣の1985年、プラザ合意がなされた。これにより米国の対日貿易赤字を解消する方向へ、それまでの円安から一転、円高へと誘導されることとなった。
このことは当時の日本の輸出産業にとっては大きな打撃を与えることとなり今度は日本が不況へと陥ることになる。この状況を打開すべく日本政府は内需での経済成長を促すべく公共投資を拡大し、加えて金利の引き下げを行い、長期的な金融緩和がなされた。これにより景気は回復の方向へと向かっていくがその一方、この金融緩和は企業の投資拡大を促すことにもつながった。
事業が軌道に乗ると企業は資金を不動産に投資して運用することで利益を増やすということを始めた。この投資が成功し、不動産による利益を獲得した企業は、今度はその利益を他の不動産へと投資し、更に利益を拡大していく。こういったことが繰り返されていくうちに、徐々に日本経済はその実態以上に膨れ上がっていった。これが1989年頃までのことであり、ここに"バブル"時代が到来した。

バブルの時代感

マルサの女2(1988年)

そんな時代に現れたのがいわゆる地上げ屋である。すなわち、バブル期に価格が跳ね上がる土地を獲得するためにその持ち主と交渉する者である。
1988年の映画マルサの女2ではそんな地上げ屋宗教法人を隠れ蓑にした脱税を睨んだ国税局査察部、いわゆるマルサと地上げ屋との格闘を描いている。

労働讃歌

バブルの特徴の一つとして挙げたいのが、労働に対する肯定感である。当時の時代感をよく表したものとして流行曲の歌詞から見てみたい。

虹をみたかい/渡辺美里(1989年)


虹をみたかい/渡辺美里 - YouTube

渡辺美里は以下のリンクによると当時の「おそらくEPICソニーというレーベルに最も推されていたアーティスト」。 d.hatena.ne.jp 小室哲哉作曲の「My Revolution」なら聞いたことがあるかもしれない。
その渡辺美里の虹をみたかいという曲に

土曜は Revolution
虹をみたかい-渡辺美里

という歌詞がある。

ロマンスの神様/広瀬香美(1993年)

更には、広瀬香美ロマンスの神様


ロマンスの神様/広瀬香美 - YouTube

こちらには

週休二日 しかもフレック
土曜日 遊園地 一年たったらハネムー
ロマンスの神様-広瀬香美

という歌詞があり、以下を参照すると、「アフター5の合コンから、お休みの土曜日のデートへと発展、それがさらに、新婚旅行へとつながっていくというアフター週休二日制の時代ならではのボーイ・ミーツ・ガール、恋の成就の在り方」なのだそうだ。 www.hayamiz.jp

どちらの歌詞も、平日は仕事をこなし、土日には休日を満喫しようというような気持ちを感じられないだろうか。直接的な言及でこそはないものの、歌詞にわざわざ労働条件について持ち出すのは労働に対する(今の労働に対する見方と相対すると)肯定感のようなものを感じる。

ついでに言っておくと、少し前に現在の状況に合わせて歌詞が変更された、

ゆうきのしるし/牛若丸三郎太(時任三郎)(1989年)


ゆうきのしるし/牛若丸三郎太(時任三郎) - YouTube

24時間戦えますか
ゆうきのしるし/牛若丸三郎太(時任三郎)

も丁度バブル期の歌である。

米米CLUB

さて、話を少し変えたい。


伊集院光の新説!カールスモーキー石井は経済指標となるか - YouTube

伊集院光によると、カールスモーキー石井は裕福の象徴であり、景気の良いときの余裕の上にいるべきカールスモーキー石井は経済指標になるだろうという。

カールスモーキー石井とは1985年デビュー、1997年解散(現在は再結成している)と、バブルとともにやってきて、去っていった、日本一のお祭りバンドこと米米CLUBのボーカルである。
そもそも、このバンドは他とくらべてかなりの大所帯である。ツインボーカルの2人に加え、ギター、ベース、ドラム、これに加えダンサーが2人、ホーンセクションBIG HORNS BEEが5人、そして更にギター、コーラス、パーカッションが加わる。実際にはメンバーの脱退や加入もあったが、メジャーデビューから解散まで通じて他のバンドに比べ大所帯というスタイルは貫かれており、テレビなどで人数を聞かれると「約20人」と答えるのがお決まりだった。

米米CLUBのライブの特徴はそのエンターテイメント性にある。音楽のジャンルとしては、何でもあり、というのがそのジャンルとして適切なのだと思う。ファンクやロック、ムード歌謡なんかも歌ったり、とにかくジャンルに縛られない。また、カールスモーキー石井ジェームス小野田と言うように、彼らは米米CLUBでは本名名義では活動していない。これは彼らは米米CLUBの中では本人らがパフォーマンスをするというのではなく、あくまで役を演じているのだということの現れなのである。米米CLUBの狙いは音楽を聞かせることではなく観客を楽しませることであり、そのために舞台上では役を演じ、歌あり、演劇あり、喋りありのライブパフォーマンスをおこなうのだ。

そもそも米米CLUB文化学院というアートスクールの映画研究会のメンバーが中心となって結成されたバンドであり、ボーカルのカールスモーキー石井は油絵専攻、当時の日展入選の最年少記録を更新したような人で、ライブにもそのセンスが散りばめられている。舞台装置、メンバーの衣装、ジェームス小野田のメイクまでも手がける。
そのライブの様子のわかりやすい例をあげよう。

ダンスあり、ホーンセクションあり、舞台装置あり、"お祭りバンド"のライブの雰囲気が伝わるかと思う。これはAU_SHARISHARISMというツアーで、造船所に依頼して作った円形のステージを会場の中央に配置し、観客がそれを取り囲むように見る。このステージは回転する。
米米CLUBのライブでは観客がダンサーシュークリームシュのコスプレをしてライブ会場にやってきたり、今ではあまり珍しいことでもないかもしれないが、当時としては珍しく、観客が音楽に合わせてダンサーと共に踊ったのだという。確かに、これだけ個性的な面々約20人がステージの上で演奏しながらともに踊っているのであれば、説得力があるのかもしれない。
さらに特筆すべきは、カールスモーキー石井は観客をのせるのがうまい。曲の合間に観客に手拍子を求め、会場の一体感の形成を促している。これに関しては最早意味がわからないが、テレビ番組でのパフォーマンスでテレビの前で見ている者にも手拍子を要求することすらある(自分は手拍子したことはない)。

今度は演劇の要素もあるものをもう一つ例としてあげる。


東京 Bay Side Club/米米CLUB - YouTube

東京Bay Side Club。この曲は最後まで聞かなければわからない。ホーンセクションは米米CLUBの特徴の一つでもあるが、サックスの音色もバブルらしさを感じさせているのかもしれない。

バブルとともに現れ、バブルと共に去った米米CLUBであるが、そのライブには相当の費用がかかる。以下のリンクによればそれを成り立たせていたのはライブで散財して、CDの売上で回収するという経営スタイルだったのだという。90年台ほどCDが売れない現在、そのモデルを再現するのは難しく、米米CLUBは再結成して今も活動してはいるが、そのライブはかつてほどの華やかさはない。やはり米米CLUBとはバブルとともにあったバンドだったということなのだろう。

d.hatena.ne.jp

特に着地点というものがないままだが、何か義務感のようなものに駆られて書き始めた記事なので、うまいこと話がまとまるところが都合よく用意されているというわけでもなく、書きたいことを散らかすだけ散らかしたままではあるものの、十分にバブルに思いを馳せたのでこの文章を終わりにする。